考え方

小さい積み重ねの継続

こんにちは、営業事務の造田です。

 

日々の業務の中には、メール対応、スケジュール管理、資料の確認、情報共有、業務の振り返りなど、どれも特別な取り組みではなく、「やって当たり前」と思われがちな業務が多くあります。

こうした当たり前を丁寧に積み重ねている人ほど、いざという時の準備や行動がスムーズであると感じることがあります。

 

たとえば、日々の小さな確認や共有が積み重なることで、トラブルの予防や対応のスピードが上がります。弊社では、ダブルチェックや過去のミスの共有などを行い、同じミスを繰り返さない工夫をすることで、チーム全体の効率と信頼感が高めています。
資料の細かい誤記や締め切りの遅れといった小さな失敗も、こうした習慣のおかげで未然に防ぐよう意識しています。

これらの作業は業務全体を安定させ、結果として大きな成果につながる土台を作っています。

 

反対に、急な思いつきで行動しようとすると、一時的に上手くいったように思えても、後から調整に時間や労力がかかることが少なくありません。土台が整っていなければ、十分な成果を発揮できなかったという経験があります。

 

情報が行き渡り、環境変化の激しい時代であるからこそ、大きな行動や方向転換が求められる場面もありますが、結果的に成功するかは日々の継続ができているかどうかでは無いかと考えます。

継続できる仕組みがあるからこそ、変化にも柔軟に対応でき、基礎が固まっているからこそ、新たな挑戦も着実に前へ進むことができます。

 

小さな積み重ねの延長線上にこそ、大きな結果があると信じて、これからも日々の小さな継続を大切にしていきたいと考えています。

 

造田朋夏

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考え方
成長とは、失敗の数ではなく向き合い方で決まる

皆様こんにちは!コンサルタント職の平石です。

コンサルタント1年目として働く中で、私の中に強く残っている言葉があります。

それは、「失敗をして学んでいく。同じミスを繰り返さないことが大切だ。」という言葉です。

 

私は資料作成やお客様へのご支援で、確認不足によるミスをしてしまいました。数字の転記漏れや添付資料の不足といった基本的な内容でしたが、自分なりに時間をかけたつもりだっただけに、大きな悔しさを感じました。「もっとできたはずだ」という思いと同時に、「また失敗したらどうしよう」という不安も生まれました。

 

しかし上司は、失敗そのものを責めるのではなく、次にどう活かすかを問いかけてくれました。その姿勢に触れたとき、私は大切なことに気づきました。失敗を恐れて動かなくなることのほうが、成長の機会を失うのだということです。

 

最近よく耳にしている「心理的安全性」という言葉があります。それは、意見を述べたり挑戦したりといった“リスクのある行動”をとっても、否定や罰を恐れずにいられる状態を指します。ただし、これは「優しいだけの職場」という意味ではありません。互いに率直に意見を交わし、改善点を指摘し合える関係性こそが、本当の意味での心理的安全性だと感じています。

 

過去の失敗も、もし頭ごなしに叱責されるだけであれば、私は萎縮し、挑戦を避けるようになっていたかもしれません。しかし実際は、改善点を具体的に整理し、「次はどうするか」を一緒に考える機会になりました。その経験があったからこそ、私は次の業務に前向きに向き合うことができました。

 

失敗は決して歓迎されるものではありません。それでも、挑戦を続ける限り避けては通れないものです。大切なのは、失敗を隠すことでも、なかったことにすることでもなく、向き合い、言語化し、次に活かすこと。その積み重ねが、個人の成長につながり、やがて組織の力になっていくのだと思います。

 

経営の世界においても、挑戦と改善の繰り返しが企業を前進させます。その土台となるのが、安心して挑戦できる環境ではないでしょうか。成長とは、失敗の数ではなく、その後の向き合い方で決まる。私は、日々の経験を通じてその意味を学び続けています。

 

これからも失敗を恐れず、しかし同じ過ちを繰り返さない。挑戦と改善を止めない存在でありたいと思います。

 

平石優希

考え方
時には恐れず、変化を織り交ぜる

皆様こんにちは!コンサルタント職の平石です。
寒い日が続いていますが、体調に変化がございませんか?
人生には、定期的になにかしらで「変化」というイベントがやってきます。
嬉しい変化や、困難を伴う変化も様々なものがあります。

 

多くの人に長く支持され続けているMrs. GREEN APPLEは、楽曲の中に意図的な“変化”を取り入れていることで知られています。イントロやサビ前で変拍子を取り入れたり、転調を多用します。歌詞の心理描写に合わせた構成の変化など、一見すると複雑な要素を織り交ぜながらも、曲としての軸は一貫しています。常に進化を続けながらも、自分たちの信念は決して揺らがない。その姿勢こそが、多くの共感を生み続けている理由だと感じます。
(ヴォーカルの大森さんはあんなに素晴らしい歌を作詞作曲2時間程度で完成するみたいです)

 

この在り方は、私たちのコンサルティング業務にも通じるものがあると思います。中小企業をご支援する中で、企業ごとに置かれている経営者の想いや環境、課題などあらゆる項目が大きく異なります。同じ業種であっても、最適な打ち手も変わります。過去の成功事例や決まった型に当てはめるだけでは、本質的な支援にはなりません。

 

私自身、入社当初は目の前の業務をこなすことで精一杯でしたが、お客様や上司、同僚との対話や、少しずつ視野が広がり、できることも増えてきました。まだまだ学ぶことばかりですが、日々の経験の中で、自分なりの軸も少しずつ形になってきていると感じています。これからは、芯の強さと信念を大切にしながらも、お客様やその場その場の状況に応じて変化を織り交ぜ、最善のご支援ができるコンサルタントを目指していきたいです。固定観念に縛られず、小さな挑戦を積み重ねることで、自身の成長とお客様の成長の両方に貢献していける存在であり続けたいと思います。

 

平石優希

考え方
「自由」を捨てた先に、真の組織力がある

皆さん、こんにちは。フラッグシップ経営代表の長尾です。

 

今日は経営における「自由」について考えたいと思います。

 

「社長はいいですね、誰にも縛られず、自分の好きなようにできて」

 

経営者仲間や、時には社員からも、冗談混じりにそんな言葉をかけられることがあります。

 

しかし、このブログを読んでいる経営者の方ならそれが大きな誤解であるとお分かりいただけると思います。

 

組織において「最も不自由な存在」はトップである経営者自身です。

 

世間のイメージとは裏腹に、経営者は「したいこと」を自由に選べる立場ではありません(中には本当に自由にしていて会社が無茶苦茶になっている事例はありますが・・・)

 

むしろ、経営者が「自分のしたいこと」を優先し始めた瞬間、会社がおかしくなり始めます。

経営者は常に「経営方針」や「企業の社会的責任」、そして「市場の要求」という強力な力に拘束されています。

 

そこにあるのは「やりたいこと」ではなく、常に「すべきこと」です。

 

 

経営者が向き合っているのは解決しなければならない問題、決断を迫られる不都合な事、そして「したくないが、組織のためにせざるを得ないこと」の連続です。

 

不採算部門の整理、苦渋の決断を伴う人事、市場変化への無理な適応。

 

これらは決して「楽しいこと」ではありません。

 

しかし、経営方針に従う以上、私情を挟む余地はそんなにありません。

 

さて、この「経営者の不自由さ」は幹部にも当てはめるべきではないかというのが私の持論です。

 

多くの組織において、問題は「幹部が自由すぎる」ことから生じます。

 

「自分の部署の利益だけを考えたい」「部下に嫌われたくないから厳しいことは言いたくない」「自分の得意な仕事だけをしていたい」。

 

これらはすべて、幹部個人の「したいこと(私心)」です。

 

しかし、幹部とは経営者の分身であり、経営方針を具現化する存在です。

 

彼らが自分の感情や好みで動いているうちは、組織は一つの方向を向くことはできません。

 

幹部が「経営方針という拘束」を自ら受け入れ、「自分はこの方針の遂行者である」という自覚を持ったとき、組織の実行力は劇的に高まります。

 

例えば、幹部が経営者と同じ視点に立ち、「したくないが、せざるを得ないこと」を淡々と、かつ情熱を持って実行できるようになると、組織には独特の「規律の美しさ」が生まれます。

 

1. 意思決定のスピードアップ: 「好き嫌い」ではなく「方針に沿っているか」が基準になるため、会議から無駄な忖度が消えます。

2. 現場への一貫性: トップから末端まで「なぜこれをやるのか」という理由が私心なき方針に基づいているため、社員の納得感が深まります。

3. レジリエンス(復元力): 困難に直面した際も、感情に流されず「なすべき最善」に集中できるため、立ち直りが早くなります。

 

 

幹部が「私も社長と同じく、この方針のために不自由になる覚悟があります」と言える組織。そんな組織が、強いでしょう。

 

私たちは、自由を求めて経営をしているのではなく、成し遂げるべき使命のために、不自由を選んでいます。

 

 

自由、個性、効率などという言葉が軽く使われている現代のビジネスシーンですが、何かを成し遂げるというのは不都合な自由を受け入れる人数で決まってくるのだと思います。